橋下人気に感じる違和感

橋下人気に違和感を感じる。明瞭に言うなら,橋下を持ち上げている連中が気味悪い。「違和感」と言われただけではピンとこないような,ちょっとニブイ人達のことだ。

口を出す資格とは

政策に注文を付ける資格があるのは大阪市民だけである。橋下氏は,大阪市民が望む政策をとるべきだ。なので大阪市民以外は政策の良否を評価することに止め,政策を押し付けるのは控えるべき。それ以上は僭越だと考える。

専門家でないものは口を出すな

しかし,橋下支持者はそうは思わない。「専門家でないものは口を出すな」と言う。これは的外れである。大阪市民以外は口を出すなと言うべきだ。
ところで,橋下支持者達は行政の専門家集団なのだろうか。いや,たぶんエア専門家。自分達のことを棚に上げて,橋下支持者達にとって都合の悪い人を攻撃する。気味が悪い。

代案を出せ

批判するなら代案を出せと要求する者もいる。例え話をしよう。「美味い儲け話を聞いた」と喜んでいる人がいたとする。彼の友人が心配をして,「騙されているんじゃないの?」と忠告した。すると,「ならば別の儲け話を持って来い」と返された。気味が悪い。上手い例え話ではないが,「橋下批判者に代案を求める連中」に感じる気味の悪さは同質だ。

他所の住民に代案を提供する義理は無い。代案を求めるのは甘え。橋下支持者に他人任せの甘ったれがいる不思議。このあたりにも,橋下人気の異常さを感じる。

口を出す理由とは

具体的な政策について論じないのは,大阪市民でないならば当然である。それでも専門家でもない他所者が橋下市政について口を出すのは,大阪市民が橋下氏に騙されているのではないかと心配するからだ。心配は理屈ではなく感情だ。論理的な批判ではないとの批判こそ論理的ではない。